文化・歴史
城下町と徳島市の起源
徳島市は、豊臣秀吉によって行われた四国征伐の功績により、1585年(天正13年)に阿波国に入国した蜂須賀家政が徳島城を築城し、城下町が形成されたのが都市としての始まりです。
川に囲まれた地の利を生かしてまちが作られたことから、今でもその名残として、市内には福島、寺島、出来島など島のつく地名が数多く残っています。

徳島城の築城後、阿波の政治・経済の中心として栄え、藍産業が興隆した江戸時代には、全国的にも有数の商業都市へと発展していきました。明治時代に入り、1889年(明治22年)の市制施行時には、当時としては全国第10位(人口約6万人)の大都市となりました。

徳島大空襲と戦後の歩み
太平洋戦争のときは徳島市も戦禍に巻き込まれ、1945年(昭和20年)6月1日から7月24日までの間に計7回にわたりアメリカ軍による空襲を受けました。特に、7月4日の大空襲(徳島大空襲)では、多くの市民が亡くなるとともに、市街地の大半を焼失しました。

戦後は、市民の旺盛な復興意欲と抜本的な都市計画により、徳島駅舎や駅前の整備、川沿いのベルト状の公園整備など、近代的な都市へと変貌を遂げていきます。
 
昭和30年代には、工場誘致や工業団地の整備など、徳島県の近代工業の中核的地域として発展していきました。

そして、昭和60年には鳴門大橋(大鳴門橋)、平成10年には明石海峡大橋が開通し、平成12年には徳島市と愛媛県四国中央市とをつなぐ徳島自動車道が全線開通するなど、徳島市は近畿圏と四国をつなぐ玄関口として一層の発展が期待されています。

育まれてきた徳島の文化
徳島市には、400年を超える歴史を持つ世界に誇る伝統芸能「阿波おどり」があります。「何はなくても阿波おどり」の心意気で燃えあがる、今では市民にとってなくてはならない暮らしの一部になっています。阿波おどりが開催される8月12日〜15日の4日間の観光客数は約130万人にものぼり、県内外はもちろんのこと海外からも大勢の観光客が訪れる、世界にその名を知られた徳島の夏祭りとなっています。

また、国の重要無形民俗文化財でもある阿波人形浄瑠璃は、江戸時代初期には農民の娯楽と慰安のためにはじめられ、末期には67もの人形座があったといわれています。今でも犬飼の農村舞台(徳島市八多町)でその面影を見ることができます。

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