地場産業
徳島の木工業の特色は、鏡台・洋家具・銘木家具・建具・仏壇・住設家具などの企業が集まった複合産地であることです。
個々の企業力が結集し、様々な技術を持った一つの企業体といえる独自の産地を形成しています。
徳島の木工業の歴史

徳島市は、古くから林産物に恵まれた地域で、1585年(天正13年)、阿波国に入国した蜂須賀家政は、新町川河口部の城山に城を築き、福島に置いた水軍基地(安宅役所)に約200人の船大工を住まわせて軍船の造船や修理に当たらせました。
仕事場では、月に3回ほど木くずの整理をしていましたが、船大工たちがその木くずを家に持ち帰り、ちりとりやまな板などの日用品を作って売っていたことが、徳島市における木工業の始まりです。
明治4(1871)年の廃藩置県により職を失った船大工達は、長年培った技術を生かせる木工業へと転向し、高度な技術を活かして日用家具やタンスや下駄、鏡台、建具などの製造を始めるようになりました。
その後、木工業は徳島市の主要な地場産業として発展し、市もその振興に力を入れました。木工業の人材育成を目指して、昭和13年(1938年)には徳島市立工芸青年学校(現県立徳島科学技術高校)が設けられ、同33年には市立工芸指導所が設立されました。
同所は、昭和57年に新たに市立木工会館としてオープンし、木工業のみならず、藍染・しじら織など本市の地場産業振興の中核的施設となっています。

遊山箱

徳島市の「遊山箱(ゆさんばこ)」をご存知でしょうか。
野山への行楽(遊山)や雛祭りの弁当箱として主に子どもたちが使った三段重ねの重箱で、杢張(もくは)りという徳島市の木工技術を生かして塗装されています。
徳島では、三月や五月の節句等に子どもたちが山や海、野原へ遊山をする風習があり、その際のお弁当箱として利用されていました。
地域の文化が簡略化される中で、遊山箱の利用はほとんどなくなりましたが、近年その魅力が見直され、復活させようとする動きが起こっています。
見た目のかわいらしさや、付随する“子どもへの思い”も手伝って、若い世代にもすんなりと受け入れられているようで、節句のお祝いとして子どもに遊山箱をプレゼントするといった方もいらっしゃいます。

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